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浦和地方裁判所 平成6年(ワ)1040号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成五年三月三一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事件の発生

原告は、平成五年三月三〇日午前二時三〇分ころ、浦和市上木崎〈番地略〉所在の月極駐車場(以下「本件駐車場」という。)内において、被告に右目付近を果物ナイフで刺された(以下「本件行為」という。)。

2  本件傷害の内容

原告は、被告の右行為により、右目眼球破裂、強膜裂傷、硝子体出血の傷害を受け、増殖性硝子体網膜症、白内障(以下「本件傷害」という。)を併発して右目を失明し、左目も視力が0.1となった。

3  損害

(一) 逸失利益

(1) 右傷害は、後遺傷害別等級表第五級に該当するところ、これによる逸失利益は、全年齢平均給与額三九万九〇〇円を基礎とし、労働能力喪失率を七九パーセント、就労可能年数を症状固定時の年齢である三三歳から六七歳までの三四年間(ライプニッツ係数16.1929)として計算すると、六〇〇〇万六五四七円となる。

39万900円×12×0.79×16.1929=6000万6547円

(2) また、仮に、原告の被った後遺症が右目のみの失明としても、後遺傷害別等級表第八級に該当し、労働能力喪失率四五パーセントとなるから、これによる逸失利益は、三四一八万〇九四四円となる。

39万900円×12×0.45×16.1929=3418万0944円

(二) 慰謝料

また、右による慰謝料は、(1)後遺傷害別等級表第五級とした場合は、一五七四万円、(2)同第八級とすれば、八一九万円となる。

(三) 損害合計

そうすると、原告の被った損害は、(1)後遺傷害別等級表第五級とした場合は、七五七四万六五四七円、(2)同第八級とすれば、四二三七万〇九四四円となる。

4  結論

よって、原告は、被告に対し、右損害金のうち、五〇〇万円及びこれに対する不法行為以後の日である平成五年三月三一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1(本件事件の発生)の事実は認め、同2(本件傷害の内容)の事実は不知、同3(損害)の事実は否認する。

三  抗弁

1  正当防衛

本件事件当日の午前零時一五分ころ、被告とその義妹がいたアパート(以下「本件アパート」という。)を訪れた原告は、「今日はお前らとケリをつける。」などと怒鳴って思い切り被告を殴りつけたことを契機に、原告と被告は、本件駐車場や与野駅前の公衆電話付近、そして再度、本件駐車場で殴り合いとなった。そうこうするうち、原告は、拳大の石を右手に持って被告の後頭部に殴りかかってきたので、被告は、両手で原告の右手を掴み、その石を手から捨てさせた瞬間、原告は、今度は突然、果物ナイフ(以下「本件ナイフ」という。)を被告の顔の横辺りに掲げた。この時、被告は、これがナイフとまでは分からなかったものの、街灯の光の反射で金属のような物、すなわち、何らかの凶器であることは分かり、被告は、これまでに既に二回、数時間に亘って一方的に殴られた経過があったこと、本件事件当日の喧嘩の最中、前記の原告の言動のほか、押し倒されて馬乗りになられ、首を締められてほとんど呼吸できないほどになったこと、プラスチック製の箱で殴りつけられたこと、何度も「殺す。」と言われたりしたことなどのため、本当に殺されるかもしれないと非常な身の危険を感じ、自己の身を守るため、夢中で原告の右手を両手で掴み、さらに、噛みついてナイフを奪い取り、それを本能的に咄嵯に前方に差し出したところ、たまたま原告の右目付近に刺さってしまったもので、被告の右行為が正当防衛行為に該当することは明らかであり、被告に原告の損害について賠償すべき義務はない。

2  過失相殺

仮に、右主張が認められなくとも、前記経過によれば、本件損害の発生については、原告にも相当程度の過失があるから、被告は、過失相殺を主張する。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠関係

証拠の関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1(本件事件の発生)の事実は、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、原本の存在及び成立に争いのない甲第一ないし第三号証、乙第五ないし第九号証、原告本人尋問の結果によれば、同2(本件傷害の内容)の事実のうち、原告は、被告の本件行為により、右目眼球破裂、強膜裂傷、硝子体出血の傷害を受け、増殖性硝子体網膜症、白内障を併発して右目を失明したことが認められるが、これら各証拠によっても、被告の右行為に起因して左目の視力も0.1となったとまでは認められず、他に、右事実を認めるに足りる証拠はない。

3  次に同3(損害)の事実についてみるに、右に掲記の各証拠及び右認定の事実並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められ、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告の本件行為により原告の被った逸失利益については、被告の本件傷害は、後遺傷害別等級表第八級に該当するところ、全年齢平均給与額三九万九〇〇円(平成五年度東京三弁護士会交通事故処理委員会編「損害賠償額算定基準」中の全年令平均給与額および年令別平均給与額表(平均月額)(任意保険)による)を基礎とし、労働能力喪失率を四五パーセント、就労可能年数を症状固定時の年齢である三三歳から六七歳までの三四年間(ライプニッツ係数16.1929)として計算するのが相当であり、そうすると右損害額は、三四一八万〇九四四円となる。

(二)  また、慰謝料については、原告は、本件傷害により、平成五年三月三〇日、大宮赤十字病院に入院して強膜縫合術及び硝子体切除、水晶体乳化吸引術を施行されて同年四月二一日退院し、その後、再手術のため同年五月六日から同月二一日まで入院し、さらに、同年一〇月二〇日まで通院したが、結局、右目は失明する結果となったものであり、これを慰謝するには、原告主張のとおり八一九万円と認めるのが相当である。

(三)  そうすると、原告の被った損害合計額は、四二三七万〇九四四円となる。

二  抗弁について

1  そこで、抗弁について判断するに、請求原因1(本件事件の発生)の当事者間に争いのない事実に、原本の存在及び成立に争いのない乙第二及び第四号証の各一ないし三(各一部)、第一〇ないし第二〇号証、第二八ないし第三二号証(各一部)、第四一号証、第四三号証、第四四号証(一部)、第四五号証、第五四号証(一部)、第五五及び第五六号証、成立に争いのない同第四六ないし第五三号証(各一部)並びに原告本人尋問の結果(一部)によれば、本件事件の事実経過として、以下の事実が認められ、右認定に反する右乙第二及び第四号証の各一ないし三、第二八ないし第三二号証、第四四号証及び第四六ないし第五三号証の各記載部分及び原告本人の供述部分は、にわかには信用し難く、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告、被告及び丙(以下「丙」という。)は、いずれも中華人民共和国の国籍を有し、来日後、ともに埼玉国際交流語学院に籍をおいた同窓生であり、また、丙は、被告の妻戊の妹である。

(二)(1)  丙は、平成五年二月二二日ころから浦和市内のスナックに勤めたことがあったが、同じころ同店に勤務していた原告は、丙に恋愛感情を抱くようになり、執拗に交際を迫るようになった。しかし、右のような事情や、被告から水商売で働くことは好ましくないと助言されたこともあって、丙は、一か月足らずで同店を辞め、同年三月一五日からは、被告の紹介で被告と同じパチンコ店で仕事をするようになった。

(2) ところが、その前日一四日の深夜、被告が丙の様子を気遣って本件アパートを訪ねると、その前の路上で原告と出会い、「なぜここにいる。」と尋ねると、原告は、「友達を待っている。」として、その場から逃げるようにして立ち去ったことがあった。

(三)(1)  平成五年三月二五日、丙は、前記スナックでの未払給料を受け取るため、同店内にいた原告に電話連絡をした上、浦和駅近くの喫茶店で原告に会い、これを受領したが、原告は、「送っていく。」として与野駅までついてきて、翌日午前一時ころ、遅い時間なので心配して同駅まで迎えに来ていた被告と出会い、多少のいざこざはあったが、原告は、一旦はタクシーで帰宅した。

(2) なお、当時、被告は、丙が原告の名前までは挙げなかったものの、スナックで働いている中国人の男性から付きまとわれていて困るなどと聞かされていたため、丙の身を按じ、かつて被告とその友人及び丙の三名で住んでいたことのある右アパートに泊まることが多く、この日も丙とともに右アパートに戻っていた。

(3) ところが間もなく、原告が大声で、「お前ら二人出てこい。」などとして右アパートを訪れ、被告に対し、「丙が好きだ。どうして店を辞めさせた。早くこのアパートから引っ越せ。」などと執拗に繰り返し、結局未明になってようやく帰って行った。

(四)  翌二六日と二七日にも、丙と被告がパチンコ店での勤務を終えて帰宅すると、原告が待ち構えており、前同様被告に対し、「丙が好きだ。お前は口を出すな。」などと文句をつけたため、被告が「口を挟まない訳にはいかない。」と言うや怒りだし、被告を殴ったりしたため、両名は殴り合いとなり、それぞれ翌日未明まで同様な状態が続いた。

(五)(1)  本件当日の三〇日午前零時一五分ころ、原告は、前同様、深夜にもかかわらず、ドンドンと戸を叩くなどして本件アパートを訪れ、近所への迷惑を考えた被告と丙が表に出ると、原告は、「今日はお前らとケリをつける。」などと怒鳴りながら思い切り被告を殴りつけたことを契機に喧嘩となり、原告と被告は、本件駐車場に場所を移して殴り合いとなり、さらに、原告が被告に馬乗りになって両手で締めつけた。そこで、丙は、原告を引き離そうとしたため、原告は、被告に対し、「何で彼女に加勢させるんだ。俺も誰か人を呼ぶ。」「殺してやる。」などと言いながら駐車場を出ていったため、被告と丙は、原告が本当に人を呼んできたら大変なことになると思ってその後を追った。

(2) すると原告は、与野駅前の交衆電話から通話しようとしていたため、丙と原告とは何度か電話を切ってこれを押し止めた。そして、そこでもまた原告と被告は、口論となり、殴り合いとなったが、次第に両名とも疲れ切ってしまい、被告は、この辺で喧嘩は辞めようとの意味もあって自動販売機で缶コーヒーを買い、その一本を原告に渡し、原告もこれを飲んでいた。

(3) しかし、それでも原告は気が収まらず、「駐車場に戻ろう。今日ははっきり片をつけるぞ。」などとしたため、被告は、逃げて戻ろうとしたところ、原告は、途中のスーパーマーケットの店頭にあったプラスチック箱で殴りかかるなどしながら再度本件駐車場に向かい、同所でまた殴り合いとなった。

(4) その後、被告は、「眼鏡がない。」として駐車場の奥の方に行ったが見つからないようであったため、原告は、被告にライターを差し出し、被告は、これを使って探してもまだ見つからない様子であり、そのうち、被告は、眼鏡を取りに行ってくるとして右駐車場から出て姿を消し、三、四分して戻ってきたが、その時は眼鏡をしていた。

なお、本件アパートの階段から本件駐車場まではわずか九四メートルの距離に過ぎず、右三、四分の時間があれば十分に往復が可能である。

その間、丙は、原告に「これ以上義兄とは喧嘩しない約束をして。今日はもう帰って下さい。」などと話していた。

(5) そして、被告が戻って間もなく、被告は、原告に対し、本件行為に及び原告に本件傷害を負わせた。

2  以上の事実が認められるところ、これら事実を前提に被告の抗弁1(正当防衛)について検討する。

ところで、被告のこの点についての主張は、原告と被告が、本件駐車場で二度目の殴り合いをしていた際、原告が突然本件ナイフを取り出したこと、すなわち右ナイフが、原告が予め所持していた原告所有の物であることを前提とするものである。

そして、前掲乙第四号証の一ないし三(被告の刑事第一審公判廷における供述調書)、第二八ないし第三二号証(いずれも被告の司法巡査、司法警察員及び検察官に対する各供述調書)、第四六ないし第五三号証(いずれも被告の本件訴訟代理人に対する手紙)及び第五四号証(被告の刑事第二審公判廷における供述調書)中には被告の右主張に沿う部分がある。

しかしながら、これら証拠によるも、原告が一体どこから本件ナイフを持ち出してきたかについては一切明らかにはされていないし、他に、これを証明するに足りる証拠もない上、これら事実を明確に否定する前掲乙第二号証の一ないし三(原告の刑事第一審公判廷における証人尋問調書)、第五五号証(原告の同第二審公判廷における証人尋問調書)及び原告本人尋問の結果、なかんずく、前掲乙第一二号証(丙の平成五年一〇月二二日付け司法巡査に対する供述調書)によれば、丙は、本件ナイフは、「以前私のアパートにいた兄さんが台所に置いてあった大小さまざまな包丁や果物ナイフの中の果物ナイフに似ています。」とすること(被告は、右丙の供述は、取調官による執拗、かつ、誘導的な尋問が繰り返されたことが窺われると主張するが、このような事実を認めるに足りる証拠はない。)、さらに、右1(五)(4)において認定したとおり、被告は、眼鏡を取りに行ってくるとして本件駐車場から一旦姿を消し、三、四分して戻ってきたが、右駐車場と本件アパートとの距離からすれば、右程度の時間があれば十分に往復が可能であり、その際に本件ナイフを持ち出したと推認できることなどに照らし、前掲乙第四号証の一ないし三、第二八ないし第三二号証、第四六ないし第五三号証及び第五四号証の各記載部分は、いずれもにわかには信用し難いものというべきである。

そして、他に、この点についての被告の抗弁事実を認めるに足りる証拠はなく、右主張は理由がない。

3  次に、抗弁2(過失相殺)について検討するに、前示1(五)において認定した事実によれば、本件事件に至るまでの一連の経過は、確かに、原告が再三に亘り、しかもいずれも深夜に本件アパートに押し掛け、被告に対し、一方的に攻撃を仕掛けるなど、常軌を逸した行動に起因するものであることは疑いを容れないところではあるが、このような不法な行為に対しては、何より法的な手段、方法によってその対抗策を講ずべきことが、まず、求められるというべきであり、したがって、本件事件に至るまでの原告と被告との一連の喧嘩闘争自体、これをやむを得ないものとして是認することはできないものというべきである。さらに、本件事件当日の再度の本件駐車場での喧嘩闘争に際しても、被告が眼鏡を捜そうとした時点において、右闘争状態は一旦は途切れており、そうであれば、被告がこの時点で本件ナイフを持参し、ましてやこれによって原告の顔面を切り付け、本件傷害を負わせるに至ったことについては、到底その必然性を認めることはできず、前示の事ここに至るまでの原告の異常ともいえる言動を最大限考慮し、その他、本件に顕われた一切の事情を斟酌しても、前示原告が被った損害額合計四二三七万〇九四四円のうち、過失相殺の法理により、原告が負担すべき損害の割合はその五割を超えることはないものと解すべきが相当である。

4  そうすると、右の損害額は、原告がその一部として請求する五〇〇万円を超えることは明らかである。

三  結論

以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 梅津和宏)

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